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幼児性をなくすために。
秋で俺は変わった。
夏に井出さんに振られて、そして井出さんの彼氏を知って、俺は絶望したと同時に一斉奮起した。
このままの俺じゃだめだ。あの彼氏に負けないぐらい行動的になって自分を磨いてやる!
その一心で、夏は自分を磨きたい、向上心の一心で授業や研究会に入ろうと思ったし、恋愛も頑張ろうと思って、免許合宿とかグルワでも頑張って行動した。
けど、俺は今年まで、こんなに向上心を持って生きてきた経験がなかった。
実際、井出さんやその彼氏の行動的な部分をいい意味で真面目と思っていて、それに負けないよう俺も真面目に生きようと頑張った。
そのなかで、今まで俺である、自由奔放なノリで生きる、適当な今までの自分を「負」の部分だと思い込むようになってしまった。
今までの自分は見せたくない、今の真面目を意識した自分は自分ではない。
結果、自分がどういう人間として振舞い行動すればいいのか分からなくなった。
そんな心理状態できみちゃんと接したから、どういう自分を出せばいいのか戸惑い、その戸惑いが相手にも伝わり、心の壁を生み出し、彼女も素の自分を出しづらくなって、結局遠慮という行動形式で現れたのだと思う。
では、俺はこれからどうすればいい?
俺はもっと彼女と深い関係を築いていきたい。
そして、その第一段階として心の壁を取り払わなければならない。
ロビンのコーチの言葉
「自分の居場所を探せ」
この言葉をここで使わしてもらうなら
俺は彼女にとって、一緒にいて安心できる存在になりたい。
自分の客観的な評価は、周りからのフィードバックから得るのが一番だとコウシが教えてくれて
俺は一緒にいると安心できる存在
という存在感が強いことが分かった。
けど、相手に安心感が伝わるには、「俺が安心感を得ていなければならない」
人は自分を投影する。
俺が心を開けば、相手も心を開いてくれる。
結論として、俺が「きみちゃんにとって安心できる存在」になるためには
「俺から心を開いて、俺が気兼ねのない態度」で接すればいい。
相手に心を開いた状態で喋っていれば、相手と意見が違くてもそれは問題ではない。
その意見は等身大の自分の意見であり、等身大の自分を知らせることが、自分と相手の関係性を深めてくれる。
そして、その相手に伝える等身大の自分というのは、自分が相手に知って欲しい存在でないといけない。
秋の俺のように自分に不安があった等身大の自分では、等身大の自分を伝えようとする意思が弱くなり、結果として、相手と素の自分でつながろうとすることを妨げてしまう。
だから、等身大の自分に、自分が納得しないといけない。
2009年1月8日の等身大の俺、それは
「素は天真爛漫(自然のままで飾り気がなく、偽りのないさま。ありのままの真情が言動に現われること )。好奇心旺盛で自分の気持ちに素直であり、ノリで行動するけど、我慢と地道な努力を忘れがちなのでその辺は意識して真面目であろうとする自分もある」
これが今の等身大の俺。俺はこの等身大の俺に今は納得してる。
だからこの等身大の俺を意識しすれば、きみちゃんの前でも心を開ける。
っとここまでは頭の中で答えが出ていた話。
ここからはこれから固める考え。
ファミマで「自分に気づく心理学」という本を買ったけど、かなりためになってる。バイブルになるかも。
その本の中で、「幼児性」を持っている人間に関しての記述があった。
まだ最初から本を読んだわけじゃないから「幼児性」の定義は分からないのだけど
「幼児性を持っている人間は、他人に依存しやすく、心理的に葛藤があるので他の人の考え方に影響されやすい」
この記述から、どう考えても俺は、幼児性を残した大人になってしまったんだと気づいた。
そして更なる記述に。
「幼児性を残した人と成熟した人は精神レベルで差があるので話し合っても深く繋がった感覚を得られない。大人と子供と喋ってる感じ」
「なので幼児性を残した人は幼児性を残した人と、成熟した人は成熟した人同士が分かり合え易い」
俺は幼児性を残していることは確定している。
じゃぁきみちゃんはどうか?
他の人間に依存的か? 違う。
心理的に葛藤しているか? していない。
進路を探すことに焦りを感じてはいるけど、それは心理的な葛藤ではなく、行動的な+の気持ち。
結局、「幼児性」ってなんだろうって考えると。
心が安定していない人。なんじゃないだろうか?
心が安定していないから、他人の芯の通った考えにすぐに影響される。
心が安定していないから、自分一人じゃ不安で他人と一緒に居ようとする。
「幼児性」を持つ人、というのは心理的に不安定な人のことをいうのだと思う。
俺は、幼児性を持った自分から脱却して、成熟した精神状態を手に入れたい。
自分で納得のいく、芯の通った、簡単に相手に影響されない自分の生き方、考え。
それを持つことによって、思いやりのない、身勝手な相手への絡み、依存からの脱却
そしてそのような安定した精神状態を手に入れれば、自分のやりたいことを気兼ねなく集中してできる。
安定した土台があるから動けるんだ。
今日、お昼にきみちゃんと話して、家族の話になった。
話したすぐ後は、きみちゃんの安定した心は家族とのつながりからきてるのではないか。
周りに不満はないの?と聞いたら、
「不満はない。大学に行かせてもらって、とても感謝してる。もしかしたら自分は贅沢を求めすぎてるのかもしれない」
彼女は進路について深刻に悩んでるんだと思う。それは真面目な子だし、俺も春に、音楽のことで、本当に自分ができるのか、不安で不安で仕方なくて、泣くほどつらかった。
そしてやっと、焦らなくていいんだ。ってことに気づいたんだと思う。俺と一緒で。
だから彼女の精神状態は、今希望とわくわくでいっぱいなんじゃないかな?
今はテストに燃えて、家族・親族の尊敬する人達に憧れて、春はサークルに燃えて。
夏は俺だって音楽に費やす!それぐらいの気持ちでやってたしね。
心の安定した部分があれば、信じられる部分。信頼できる部分。信頼できる人、信じられる考え方。
安心感。
安心感があれば、いいんじゃないか。
安心しているからこそ。集中して取り組める。安心しているということは、信頼している所があるってこと。
俺の安心できるとこってどこかな?
やっぱり、他の人は家族なんだろうな。
つい最近は、この安心できる場所を、自分の考え方にしようと思ってた。
確固たる考え方があれば、そこを安心できる場所とすれば、軸がブレずに自信をもって動ける。
そう思ってた。
けど、その考え方に最後の穴がある。
「家族」
結局最後はここにたどり着くのか。
俺は、今きみちゃんの家族を大切にする気持ちに劣等感を感じてしまっている。
これは認めざる得ない。
ついこの間、「家族は嫌い」で終わらせるんじゃなくて「家族を向き合うべき問題」として考えれば家族との関係は公にするものではないにしろ、隠すものではないんじゃない。と結論付けたはずだった。
けどこの劣等感。不安な気持ち。
みんなが持っている家族への感謝。
仮定だけど、人間は人それぞれある程度の心理的に必要なコミュニケーションの量があって
多くの人は、家族、恋人とその量を消費してるんじゃないか?
だから一人暮らしの人は他の人とつるむことが多くなったり、実家暮らしの人はすぐに家に帰る。
「そこに心理的に必要なコミュニケーションがあるから。」
だから、心理的に安心な場所となりえるところ、それは家族、なぜなら、気兼ねなく心理的に必要なコミュニケーションを消費することができるから。
こう考えると、心理的コミュニケーションが足りなくて、他の人にそれを求めて俺が思いやりのない絡みをしていたのならば、K'issという空間、恋人、四元部屋、これらの場所で心理的コミュニケーションを消費できるのではないか。
だってそりゃそうだよね。きみちゃんは毎日家に帰って家族としっかりコミュニケーションをとってるんだから。俺より大学で必要とするコミュニケーションが少ないのは当然。
結論が出そうだ。
俺の今の考え方で唯一、というかきみちゃんが家族に対して、深い関係を築いてるからなんだけど
穴があるとすれば家族。家族を大切にしてる人と深い関係を築くにおいて、やっぱり、俺も家族に対して、明確な考えを持たなくちゃいけない。相手が大切にしている事柄について、深く語ることは大切。
たぶん、きみちゃんと仲良くなるには家族について語るしかないのかもしれない。
だから、俺が大学生活を送る上で家族と仲良くなる必要性はまだないのかもしれないけど。
「きみちゃんと深い関係を築く」
という点で、俺は家族との関係を取り戻さないといけないのかもしれない。
だから、まだ俺の中で家族は、会いたくない嫌いな人。は変えなくていい。
問題はそれを、現実問題として受け止め。解決しようという意思を持って行動すること。
成人式帰ることがその一歩だと思う。
そうしたら、きみちゃんにも話せるかもしれない。俺と家族について。
結論
幼児性をなくすために、安心できるとこを探していたけど、それはやっぱり自分の信頼できる確固とした考え方だと思う。
そして、それを組み立てる助けをしてくれる人達。それが信頼できる人々、つまり家族、友達だったりするのだと思う。
だから、きみちゃんと戦う上において、俺がすべきことは、自分の信頼できる確固とした考えの「家族」の部分を強化するために、行動していくことと、あと常に自分の納得できる意見を周りの事柄について持つことだと思う。きみちゃんや周りの人は、家族への感謝などからそういう考え方の根本があるのかもしれないけど、俺にはまだできそうにない。だから自分で納得のいく意見の積み重ねで、俺が納得できる俺になれると思うしそうなれば、幼児性はなくなるんじゃないかな。
その最初の根本が「等身大の自分」だと俺は思う。
夏に井出さんに振られて、そして井出さんの彼氏を知って、俺は絶望したと同時に一斉奮起した。
このままの俺じゃだめだ。あの彼氏に負けないぐらい行動的になって自分を磨いてやる!
その一心で、夏は自分を磨きたい、向上心の一心で授業や研究会に入ろうと思ったし、恋愛も頑張ろうと思って、免許合宿とかグルワでも頑張って行動した。
けど、俺は今年まで、こんなに向上心を持って生きてきた経験がなかった。
実際、井出さんやその彼氏の行動的な部分をいい意味で真面目と思っていて、それに負けないよう俺も真面目に生きようと頑張った。
そのなかで、今まで俺である、自由奔放なノリで生きる、適当な今までの自分を「負」の部分だと思い込むようになってしまった。
今までの自分は見せたくない、今の真面目を意識した自分は自分ではない。
結果、自分がどういう人間として振舞い行動すればいいのか分からなくなった。
そんな心理状態できみちゃんと接したから、どういう自分を出せばいいのか戸惑い、その戸惑いが相手にも伝わり、心の壁を生み出し、彼女も素の自分を出しづらくなって、結局遠慮という行動形式で現れたのだと思う。
では、俺はこれからどうすればいい?
俺はもっと彼女と深い関係を築いていきたい。
そして、その第一段階として心の壁を取り払わなければならない。
ロビンのコーチの言葉
「自分の居場所を探せ」
この言葉をここで使わしてもらうなら
俺は彼女にとって、一緒にいて安心できる存在になりたい。
自分の客観的な評価は、周りからのフィードバックから得るのが一番だとコウシが教えてくれて
俺は一緒にいると安心できる存在
という存在感が強いことが分かった。
けど、相手に安心感が伝わるには、「俺が安心感を得ていなければならない」
人は自分を投影する。
俺が心を開けば、相手も心を開いてくれる。
結論として、俺が「きみちゃんにとって安心できる存在」になるためには
「俺から心を開いて、俺が気兼ねのない態度」で接すればいい。
相手に心を開いた状態で喋っていれば、相手と意見が違くてもそれは問題ではない。
その意見は等身大の自分の意見であり、等身大の自分を知らせることが、自分と相手の関係性を深めてくれる。
そして、その相手に伝える等身大の自分というのは、自分が相手に知って欲しい存在でないといけない。
秋の俺のように自分に不安があった等身大の自分では、等身大の自分を伝えようとする意思が弱くなり、結果として、相手と素の自分でつながろうとすることを妨げてしまう。
だから、等身大の自分に、自分が納得しないといけない。
2009年1月8日の等身大の俺、それは
「素は天真爛漫(自然のままで飾り気がなく、偽りのないさま。ありのままの真情が言動に現われること )。好奇心旺盛で自分の気持ちに素直であり、ノリで行動するけど、我慢と地道な努力を忘れがちなのでその辺は意識して真面目であろうとする自分もある」
これが今の等身大の俺。俺はこの等身大の俺に今は納得してる。
だからこの等身大の俺を意識しすれば、きみちゃんの前でも心を開ける。
っとここまでは頭の中で答えが出ていた話。
ここからはこれから固める考え。
ファミマで「自分に気づく心理学」という本を買ったけど、かなりためになってる。バイブルになるかも。
その本の中で、「幼児性」を持っている人間に関しての記述があった。
まだ最初から本を読んだわけじゃないから「幼児性」の定義は分からないのだけど
「幼児性を持っている人間は、他人に依存しやすく、心理的に葛藤があるので他の人の考え方に影響されやすい」
この記述から、どう考えても俺は、幼児性を残した大人になってしまったんだと気づいた。
そして更なる記述に。
「幼児性を残した人と成熟した人は精神レベルで差があるので話し合っても深く繋がった感覚を得られない。大人と子供と喋ってる感じ」
「なので幼児性を残した人は幼児性を残した人と、成熟した人は成熟した人同士が分かり合え易い」
俺は幼児性を残していることは確定している。
じゃぁきみちゃんはどうか?
他の人間に依存的か? 違う。
心理的に葛藤しているか? していない。
進路を探すことに焦りを感じてはいるけど、それは心理的な葛藤ではなく、行動的な+の気持ち。
結局、「幼児性」ってなんだろうって考えると。
心が安定していない人。なんじゃないだろうか?
心が安定していないから、他人の芯の通った考えにすぐに影響される。
心が安定していないから、自分一人じゃ不安で他人と一緒に居ようとする。
「幼児性」を持つ人、というのは心理的に不安定な人のことをいうのだと思う。
俺は、幼児性を持った自分から脱却して、成熟した精神状態を手に入れたい。
自分で納得のいく、芯の通った、簡単に相手に影響されない自分の生き方、考え。
それを持つことによって、思いやりのない、身勝手な相手への絡み、依存からの脱却
そしてそのような安定した精神状態を手に入れれば、自分のやりたいことを気兼ねなく集中してできる。
安定した土台があるから動けるんだ。
今日、お昼にきみちゃんと話して、家族の話になった。
話したすぐ後は、きみちゃんの安定した心は家族とのつながりからきてるのではないか。
周りに不満はないの?と聞いたら、
「不満はない。大学に行かせてもらって、とても感謝してる。もしかしたら自分は贅沢を求めすぎてるのかもしれない」
彼女は進路について深刻に悩んでるんだと思う。それは真面目な子だし、俺も春に、音楽のことで、本当に自分ができるのか、不安で不安で仕方なくて、泣くほどつらかった。
そしてやっと、焦らなくていいんだ。ってことに気づいたんだと思う。俺と一緒で。
だから彼女の精神状態は、今希望とわくわくでいっぱいなんじゃないかな?
今はテストに燃えて、家族・親族の尊敬する人達に憧れて、春はサークルに燃えて。
夏は俺だって音楽に費やす!それぐらいの気持ちでやってたしね。
心の安定した部分があれば、信じられる部分。信頼できる部分。信頼できる人、信じられる考え方。
安心感。
安心感があれば、いいんじゃないか。
安心しているからこそ。集中して取り組める。安心しているということは、信頼している所があるってこと。
俺の安心できるとこってどこかな?
やっぱり、他の人は家族なんだろうな。
つい最近は、この安心できる場所を、自分の考え方にしようと思ってた。
確固たる考え方があれば、そこを安心できる場所とすれば、軸がブレずに自信をもって動ける。
そう思ってた。
けど、その考え方に最後の穴がある。
「家族」
結局最後はここにたどり着くのか。
俺は、今きみちゃんの家族を大切にする気持ちに劣等感を感じてしまっている。
これは認めざる得ない。
ついこの間、「家族は嫌い」で終わらせるんじゃなくて「家族を向き合うべき問題」として考えれば家族との関係は公にするものではないにしろ、隠すものではないんじゃない。と結論付けたはずだった。
けどこの劣等感。不安な気持ち。
みんなが持っている家族への感謝。
仮定だけど、人間は人それぞれある程度の心理的に必要なコミュニケーションの量があって
多くの人は、家族、恋人とその量を消費してるんじゃないか?
だから一人暮らしの人は他の人とつるむことが多くなったり、実家暮らしの人はすぐに家に帰る。
「そこに心理的に必要なコミュニケーションがあるから。」
だから、心理的に安心な場所となりえるところ、それは家族、なぜなら、気兼ねなく心理的に必要なコミュニケーションを消費することができるから。
こう考えると、心理的コミュニケーションが足りなくて、他の人にそれを求めて俺が思いやりのない絡みをしていたのならば、K'issという空間、恋人、四元部屋、これらの場所で心理的コミュニケーションを消費できるのではないか。
だってそりゃそうだよね。きみちゃんは毎日家に帰って家族としっかりコミュニケーションをとってるんだから。俺より大学で必要とするコミュニケーションが少ないのは当然。
結論が出そうだ。
俺の今の考え方で唯一、というかきみちゃんが家族に対して、深い関係を築いてるからなんだけど
穴があるとすれば家族。家族を大切にしてる人と深い関係を築くにおいて、やっぱり、俺も家族に対して、明確な考えを持たなくちゃいけない。相手が大切にしている事柄について、深く語ることは大切。
たぶん、きみちゃんと仲良くなるには家族について語るしかないのかもしれない。
だから、俺が大学生活を送る上で家族と仲良くなる必要性はまだないのかもしれないけど。
「きみちゃんと深い関係を築く」
という点で、俺は家族との関係を取り戻さないといけないのかもしれない。
だから、まだ俺の中で家族は、会いたくない嫌いな人。は変えなくていい。
問題はそれを、現実問題として受け止め。解決しようという意思を持って行動すること。
成人式帰ることがその一歩だと思う。
そうしたら、きみちゃんにも話せるかもしれない。俺と家族について。
結論
幼児性をなくすために、安心できるとこを探していたけど、それはやっぱり自分の信頼できる確固とした考え方だと思う。
そして、それを組み立てる助けをしてくれる人達。それが信頼できる人々、つまり家族、友達だったりするのだと思う。
だから、きみちゃんと戦う上において、俺がすべきことは、自分の信頼できる確固とした考えの「家族」の部分を強化するために、行動していくことと、あと常に自分の納得できる意見を周りの事柄について持つことだと思う。きみちゃんや周りの人は、家族への感謝などからそういう考え方の根本があるのかもしれないけど、俺にはまだできそうにない。だから自分で納得のいく意見の積み重ねで、俺が納得できる俺になれると思うしそうなれば、幼児性はなくなるんじゃないかな。
その最初の根本が「等身大の自分」だと俺は思う。
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